懇親会では席が離れているため各人のスピーチを聞くだけで時間が過ぎてしまいましたが、部屋での二次会は八幡山の教室で話し合っているような雰囲気で楽しいひとときを過ごせたと思います。 話題が原子力中心になってしまいましたが、選挙を控えて政治・経済について皆さんのご意見を拝聴したかったです。 同期の仲間というのは、お互い遠慮なく意見を言える。 すばらしいことです。
幹事の皆さん、ご苦労さんでした。 とても楽しい一晩を過ごさせていただきありがとうございました。 翌日、箱根板橋駅で降り、みみずく寺に立ち寄り、沼津に住む大学の親友と小田原駅で待ち合わせ、小田原散策後、その日は彼の家に泊まって二人で伊豆をぶらついた後三島から帰りました。
白秋とみみづく寺等のエッセイは今作成中ですが、これは上下となって、まだ時間が掛かりそうです。来年のお楽しみにしておいてください。
久しぶりのクラス会、非常に楽しませていただきました。是非、小田高出身の皆さんで小田原の再生を果たしましょう。 私もブログを書いています。建築設計、デザイン全般、文化芸術に渡ることがメインですが、一般の思いもよらぬ人から「読んでいますよ。面白い」、などと言われることがあり、止められなくなっています。お時間があったら立ち寄ってみてみてください。私の名前だけの検索でも出るようです。但し、当面、文章のみです。 http://www.okura-fumio.jp
私は横浜に住んでいて幹事として充分な働きも出来ませんでしたが、他の幹事の皆様が頑張って、ホテル集合前に小田原の文化遺産や史跡を巡るツアーを組んでいただきましたので、旧友と同じ時間を長く持つことができ、ホテルに着いた時は既にクラス仲間の雰囲気も盛り上がって大変楽しく過ごすことが出来ました。 遠くは名古屋から4組の掬川さん、6組の榮さんが駆けつけてくれたほか、東京からは忙しい中を6組の大倉さんが参加して下さいました。 もっと多くの皆様に参加いただければよかったと思っていますが、出欠の返事に書かれた近況を拝見すると、健康に不調を来たしつつある方が増えていて、クラス会も何時まで続けられるのやらと内心不安を覚えました。 普段なかなか集まることは出来ませんが、幸い学年のホームページもありますので(4組・6組のホームページを最近学年全体に解放しました)、投稿していただき旧友との交流を維持していただきますようご利用をお願い申し上げます。
久し振りのクラス会に参加し、楽しませてもらいました。皆さんの姿を拝見し、懐かしく思い、次回も是非参加したいと考えております。
久し振りに皆さんとお会い出来、楽しい一時を過ごすことが出来、是非またお会いしたいと考えております。 昼間の部では、つたない案内をさせていただきありがとうございました。
小田原の小田原文学館・白秋童謡館、石垣山一夜城歴史公園散策を終えた皆さんの乗るバス(月村さん手配)に湯本仲宿で拾っていただきました。 バスの中で、西川さんから唾液欠乏症患者が使用する「サリベート」という潤滑剤の話が出て、彼が現役の時にプロダクト・マネージャーとして開発されたと 聞かされました。私も一時その製品にご厄介になったので、そんなところでクラスメートと縁があったのかと不思議な感じがしました。彼は昼間の散策だけの参 加でしたので、ホテルへ着いた後、そのままバスに乗って帰ってしまいました。
宴会は太田幹事の挨拶と石塚幹事の進行で始まりました。総勢16名。(4組8名、6組8名) 一人づつ順番に近況や病気のことなどが紹介されましたが、宴会中誰1人としてタバコを口にする方は居らずカラオケ装置も電源が入ったまま最後まで出番が無かったのには、さすがに我が4・6組のクラス会だと誇りを感じたものです。 入野さんが小田原の駅前の閑散たる状況を悲観する訴えをすると、数人からそれに同調する意見が出され、小田高出身者で何とかしようと盛り上がりました。小田原に関しては、今道幹事長の「衰え行く町「小田原」」を参照してください。 宴会終了後に剱持さんと渋谷さんが帰られました。渋谷さんからまだ無線(アマチュア無線のこと)やってるのと尋ねられました。渋谷さんは 「JA1DFQ」、剱持さんは「JA1FXN」、私は「JA1CYF」という呼出符号(国際電気通信条約の信号符字)で、1965年頃から十数年を無線ごっこで遊んでいました。当時はまだインターネット等は普及していませんでしたから、20メートルものワイヤーアンテナを張り、それでもヨーロッパ、南北 アメリカ等と交信出来ました。英語は出来ませんでしたので、それこそコンニチワ・サヨウナラでした。 その後二次会に用意された一室に集まり延々と会話が始まりました。 山北町と小山町の間にある清水村出身の山崎さんの話。清水村は村民の助け合いが優れていて、特に青少年の教育には力を入れていたそうです。中学3年にな ると男子は長老に集められ、性の手ほどきを受けたそうであります。つまり?貞喪失の儀式があったという。相手はというと国府津か小田原の見番から呼んだらしい。 そこへ名古屋から馳せ参じた榮さん、私の母の実家がある清水村はそんな淫らな村では無い、けしからんと。 太田さんからは、原子力の話。核分裂による発電装置は何か不都合があっても直ぐに止めるのは難しい。核融合なら直ぐ止められると。但し、良い材料が見つからないのと製作費が核分裂の数倍を要することが今後解決するべき課題であると。 まあ、とにかく楽しいミーティングでした。次回は何時? 太田幹事は5年後くらいでどうかと云う。そんなに生きて居られるかどうか。皆さんどう思いますか?
幹事さん方いろいろとご苦労様でした。昼間の部での小田原文学館では、著名な文士が多いのには改めて驚きました。 一夜城については、在学当時に下から眺めていただけでしたが、改めて現場に行ってみて秀吉の着眼に関心しました。 私は現役時代にダムや橋梁の現場にいましたので、松永記念館では電力王と呼ばれた松永安左ヱ門(耳庵)の電力の建設に与えた偉大な業績に改めて感動しました。 非常に楽しいクラス会でした。今回欠席された方々も次回には是非出席されてください。楽しみにしております。